森の迷子っこ

クマさんに懐いたうさぎさんの話。人生の迷子なり。

家族の話

今は結婚してクマさんと2人で暮らしている。実家とは疎遠で音信不通。

結婚が決まった時、母と弟には連絡したんだけど、その後の母の対応や感覚の違いに引いてしまって連絡を絶っている。

それはまた、別の話で。

 

私にとって『家族』ってのが、今の不自由な性格の根源の様な気がする。『育ち』に言い訳を求めてはいけないんだけどね。

私より辛い環境の人や複雑な家庭事情を抱える人は沢山いるのに、情けないな。

気が重いけど、記憶をたどりながらまとめていこう。自分を見つめなおすためにも。

 

■主な家族

  

 祖母(父方)

長男の初めての子供である姉を溺愛していた。今思うと、この人も極端な人だった気がする。普段邪険に扱ってたくせに、時折擦り寄ってくると言うか、私が1人暮らしを始めて1ヶ月くらい経った時、泣きながら電話をかけてきた。

『しろうさちゃん、元気してる?いつでも帰ってきて良いんやで』とか。

あなた、姉とつるんで何かにつけて『出て行け』って言ってましたやん。

どこからその自信が出てくるのが分かんないんだけど

『1人暮らしの寂しさに根を上げて泣きつき帰ってくる』って思ってたらしい。

え?1人暮らし最高なんだけど。

数年前に亡くなったと聞いたけど、私には連絡はなかった。

 

高3の頃から口を聞いていない。思い出すのもしんどいくらい嫌悪感が半端ない。

思い出したくないせいか、記憶も薄らいで何で嫌悪感を持ってるのか分からなくなるくらい。

父自身が姉と年の離れた『待望の跡取り息子』だったので大事に育てられたのかな?無自覚男尊女卑の塊で自分が絶対正しいって人だった。

祖母に邪険にされている母や私を見て見ぬ振りだったのに偉そうにするな。

何かあれば、私のせいにしてた姉や祖母。口では綺麗事言ってたくせに、その妄言に加担してたのは許せない。

 

高校時代、学校では禁止されてたけどバイトをしてた。それは家族も知っていた。

1人暮らしする為の資金と携帯が欲しかったから。

バイト代で好きな漫画やDVDも買ってたりした。それなのに、祖母や姉と一緒になって影で私の事を『手癖が悪い』って言ってたんだ。

影で『こんなに(漫画やゲーム)買ってやった覚えはないからな』って私の事を窃盗犯呼ばわりしてた。

父の記憶は薄くなってるんだけど、これは覚えてる。未だに許せない。

 

『こんな事で』って思うでしょ?私は心が狭いんだと思う。無理なの。

 

専門学校時代に話の流れで父や実家とうまくいってない事をそれとなく洩らした事がある。

友達は『そう言えば、しろうさちゃんからお父さんの話聞かへんね』で流してくれた時は嬉しかったな。心底ホッとした。

 

父とは職場結婚。姑と同居でしんどい思いも沢山してたと思う。

共働きで日中の家事は祖母がやっていたんだけど、会社から帰ってからの配膳・下膳、洗い物とお風呂準備、出社前の洗濯は母の仕事だった。父は運転免許持っていないんで送迎もやってたな。

やたら祖母に母の実家や家族の事をdisられてたのを覚えている。私は幼い頃から、そんな祖母の言動の方が恥ずべき行為だと思っていた。

専門学校進学への支援をしてくれた母には感謝している。

 

姉。弟と年が離れているので長らく『跡取り娘』として幅を利かせてた。

現在ガチで音信不通。生きてるのかな?

母も姉には邪険にされてたし、私が家を出てからも多分トラブル継続中だったと思うから縁を切ったのかな?この辺りは分からない。知りたいとも思わない。

 

結婚して戸籍は抜けてるんだと思う。戸籍謄本取り寄せた時、除籍されていたから。

 

…これについてはバツイチである可能性もあるんだよね。以前の職場で姉の同級生と一緒になった事がある。小学校の頃遊んだ事もある人。

その人が、『バツイチやねん。(しろうさの)ねぇちゃんといっしょやねw』って言ってたから。

 

ぶっちゃけ興味ありません。

 

弟1

待望の長男様。すごく大事にされていた。弟に対する『妬み』とかは全くなくて仲良くしてた。弟も『しろうさちゃん、しろうさちゃん』って慕ってくれていた。

実家にいた頃、弟に『お姉ちゃん』って呼ばれた事がない。名前+ちゃん付けだった。

姉と同じ、『お姉ちゃん』って呼ばれるのに抵抗があったんでよかった。

因みに姉は弟からは『大きいちゃん』と呼ばれていた。大きいお姉ちゃんの略なのね。

 

実家と連絡がつかなくなった時、彼とのlineで何とか連絡を取ることができた。彼は割と私の望む対応をしてくれる。余計な事は聞かない、言わない。

 

何年か前に結婚して子供もいるらしいけど、私には連絡がなかった。それについては何も思っていない。お幸せに。

 

弟2

末っ子。歳をとってからの子供だから甘やかされたのかな?とっても甘ちゃん。

仲は悪くなかった。

彼に関しては特段書く事は無いんだけど、祖母のアリエナイエピソードはある。

 

母と祖母が喧嘩になった時(喧嘩は日常茶飯事)母が祖母に言った言葉が忘れられない。

 

『「馬の子じゃあるまいし、普通4人目は堕ろすもの。」堕ろせと言われた可哀想な子はこの子(弟2)だけ』

 

どうやら、祖母は第4子妊娠中の母に『堕ろせ』と言ったらしい。

当時、意味はよく分からなかったんだけど文脈的に『中絶しろ』ってことかな?って思ってた。

 

色んな意味で酷い。喧嘩で頭に血が上ってるとは言え、子供の前でこんな事言っちゃう母親もどうかと思うけど。

 

嫁姑喧嘩もよく見せつけられてた。

嘘か本当か知らんけど、すごい言葉が飛び交ってたな。

『この前、“首吊ったらええんや。足引っ張ったる”って言うたやろ!鬼嫁!』とか。

直接母の口から聞いていないけど、言いかねないと思えるのが怖い…。

 

~番外~

 

祖母(母方)

趣味はプロレス鑑賞。お年玉をたくさんくれた隣の市に住むおばあちゃん。

変わってる風だったけど、私は好きだった。

私が小さい時に祖父が亡くなったので、叔父(母の弟)と2人で暮らしてた。

 

母の実家は狭い家だった。祖母(父方)はそれを激しくdisってた。

父方の祖母には糖尿病の持病があった。時々入院してた。

父方祖母の入院中は共働きの両親に代わって、私達の面倒を見に来てくれたりしてた。

ここは感謝一択なのに、父方祖母は違った。

 

『パンツが沢山なくなっている!【母方祖母】が盗ったに違いない!』

 

神経を疑うとはこの事。これを母に言うんだよ。姉も一緒になって。

そもそも、父方祖母と母方祖母とじゃサイズがまるで違う。

誇張抜きで、父方祖母はデカパン博士みたいなパンツをはいていた。

今思えば、あれは『ズボン下』だったと思うが、パンツとしてはいていた。

かたや、母方祖母は細身なんで、マジでいらんだろう。

 

他にも父方祖母と姉による母実家disは酷かったな。

独身の叔父に対する暴言もそう。独身ったって当時26やそこらだよ?

いくら田舎で20年くらい前の話とはいえ、本当にないわ。

改めて思い起こしてみると、本当に酷い…

 

伯父?

父は姉2人の3人兄弟。ずっとそう認識していた。

1人暮らしして、実家と疎遠になって何年も経ったころ弁護士?さんから封書が届いた。

施設に入所している○○××さんがインフルエンザの予防接種を受けたいけど、親族の方と連絡が取れない。しろうさにサインして欲しい。って内容。

 

○○は私の苗字だが、××さんに心当たりはない。そもそもなんで私の住所を知ってるの?怖い!超絶パニック!

真っ先に『姉の子供か?』って思った。姉に育児ができるとは思えないし、

手に負えず放り出したのでは…と。

 

母の携帯が変わっていたのでline経由で弟に繋いでもらって事実確認。

重度障害で生まれてすぐに施設に入った父の兄、つまり伯父と教えてもらった。

 

母も祖母が亡くなってから知った事実だそうだ。

施設費の支払いはずっと祖母がやっていたけど、亡くなってからは滞ることも多くて父のもとに催促の手紙が何通も来ていたらしい。

 

いろんな角度から打撃を受けてショックだった。

私の住所を教えたのは父の姉だったみたい。父が無理なら娘がおるでって。

当時の私の住所は契約者の母と保証人の叔父以外知らなかったはずなのに何で知ってるの?

なんで私なの?元跡取り娘様や跡取り息子様差し置いて、なんで私なんだよ?

 

いろんな感情が渦巻いてたけど、1番ショックだったのは祖母が障害児を産んだ母だったって事。

『カ○ワ』『メ○ラ』『基地外』…祖母は差別用語をよく使う人だった。

あの時代だから生まれて間もない障害児を手放すのは仕方がなかろう。それを口外しないのも分かる。

でも、障害児を産んだ母でありながら障害者差別の言葉を平気で使える神経が分からん。本当にショックだった。