森の迷子っこ

クマさんに懐いたうさぎさんの話。人生の迷子なり。

結婚を機に『発達障害』を疑い始めた話

しろうさは実家と疎遠になっている。

さみしがり屋だけど割と1人で平気な子だったので、1人暮らしは性に合っていた。

もちろん、彼氏が欲しいと人並みに思ったり、彼氏が出来たらべったりしちゃう方だったけど、結婚願望は全くなかった。

そんなしろうさが結婚まで漕ぎつけ、自分に疑問を持った話。

 

【目次】

 

 

■お世話をするよりもお世話をされたい、マジで。 

子供の頃から結婚願望皆無だった。

将来の夢は漫画家。絶対なるって信じてたし、割と今でも自分の才能を信じてたりするw宝くじ当たったら仕事辞めてチャレンジしたいな。

 

そんな夢に向かって一直線な青春だったから、学生時代は彼氏いない歴=年齢の喪女だった。

顔もスタイルも悪くはないのに。まぁ、良くもないけどw

 

コンパ的な飲み会には参加しなかったけど、友人が社会人飲み会サークルやってたので、その飲み会には顔を出していた。

そこで気がついたんだけど、私は『喋るとダメなタイプ』だったみたい。

 

愛想はいいけど、『気が利かない女子』の典型で取り分けとか全く出来ないタイプだった。

専門学校卒業の時、友達にサイン帳書いてもらったんだけど、『特技:しろうさちゃんのお世話』って書かれたのは伊達じゃないね。

確かに男の子と呑みに行っても取り分けはおまかせだった。壊滅的なマシンガントークと共に恋愛対象にはまずはなりえないわな。

 

■結婚の必要性を感じない。事実婚でいいんじゃない?

何人かお付き合いをしたけど、『結婚したい』と思った事はなかった。ずっと一緒にいたいと思っても、結婚は嫌だった。

相手にガッツリ依存するくせに『結婚という制度はノーサンキュー』

結婚となると家同士の付き合いも出てくるし、実家とほぼ絶縁状態な私にはハードルが高かった。

 

2018年の年始に同棲中だったクマさんに『年内に籍だけ入れないか?』と聞かれた。びっくりしたけど、ずっと一緒にいたい気持ちはあったので『うん』とだけ答えた。

 

それから半年くらい、この話題はほとんど出なかったし私からは触れなかった。それがクマさんにしてみれば大いに傷ついたみたいで、後に大喧嘩に発展した。

『俺なりに覚悟があって言ってるのに、うれしそうにするでもなくショックだ』と。

しろうさ的には代替案のつもりで『事実婚でも法律婚と同等の権利を得られる』と言っちゃったらもう大変。

 

やっぱり、『結婚しよう』→『事実婚でもいいよね』は傷つくもんなのかな?しろうさ的には変わらないものなんだけど…。

 

結婚はしたくないけどクマさんとは一緒にいたい。出した結論は結婚しちゃおう。

実家とほぼ絶縁状態なので証人欄は親友に書いてもらった。

 

私はご高齢者を支援する仕事をしてるんだけど、資格証の登録が戸籍名でしか受け付けられないので旧姓利用を断念。

新姓で挨拶すると、みなさん『おめでとう。よかった』と言ってくれるんだけど、内心すごく複雑。ちゃんと『ありがとうございます』って返してるんだけどね。

  

■『なんで私ばっかり!』『オマエモナー』最初はモラハラを疑った。

付き合いは長くて、半同棲を経て同棲も1年くらいしてたんである種の信頼はあった。

多分この人なら私を見捨てないだろう。私を知ってくれている。そんな甘えがあったのかもしれない。

 

入籍してからひと月に2回くらいの頻度でガチ切れされた。

言葉は不適切だったかも知れないけど、冗談の言い合いの延長線上の事。

『なんでこんな事で怒るんだよ?』『私にも同じような事言ってるじゃん』

 

お説教が深夜3時頃まで続いたり、反省文を書かされたり

反省のメモを『頭に叩き込め』と100回200回、音読させられた亊もあった。

『寝かせず説教』『自分の非を認めない』『罵倒する』

これってモラハラ夫の気があるんじゃない?そう疑った。

 

付き合い始めた頃にケンカした時、不安でいっぱいいっぱいになって占い師さんに見てもらったことがある。

『あなたもややこしい性格してるけど、彼もすごいね』と言われた。

彼は『俺は絶対正しい』の人。でも、言葉に反応しているだけだから対応は難しくないとアドバイスをくれた。

どうやらクマさんは、『でも』や『だって』という言葉に反応して怒りを蓄積していっているらしい。

 

『しろうさちゃんが正しい時もあるかも知れないけど、どう謝っていいか分からない時は「困らせてごめんね」と言いなさい』

 

そして、怒らせて1度謝ったら放っておけと言われた。思い出すことで怒りのゲージがまた上がるから謝罪で蒸し返すことはない、きちんと1度謝って放っておきなさい。しばらくすると何食わぬ様子で連絡くれるから…と。

 

占い師さんのアドバイスは大当たりだった。1度素直に謝れば、その日は怒り心頭のご様子だけど翌日には水に流してくれていた。私も改めて謝るような事はしなかった。

 

占い師さんのアドバイスが的確だったから、『俺は絶対正しい』に焦点当ててしまって、自分を顧みなかったんだよね。どこか『自分は(そんなに)悪くない』って責任逃れしてたんだと思う。

 

ある夜、また軽口叩いて怒らせてしまった。

『しまった!』と思ったけど、『私にも暴言吐いているくせに、こんな事で怒るなんて…』って気持ちがどこかにあったんだと思う。

何を言っても無視されるので、変に突いてまたお説教されるにもしんどいから、謝れないまま不貞寝した。

 

翌朝も怒ってるみたいで『おはよう』って言っても野太い声で『おぉ』と返すだけ。

私は『1か0か』の極端な考え方をしちゃうんで、『距離を置くためにも漫画喫茶にでもしばらく泊まろうかな?』『う~ん、それもそれで当てつけみたいになるよね…』とか結構本気で思ってた。

 

お互い、帰宅時はline送るようにしてるんだけど、夕方頃にいつもと変わらない調子のメッセージで『帰るよ』とスタンプが送られてきた。

『許してくれたのかな…?』びくびくしながら帰宅したけど、何事もなかったかの様に受け入れてくれた。

 

思うに、彼自身も歩み寄ってくれたんじゃないかと。

この前の喧嘩の時に『なんでそう極端な考え方をするかな?』『なんで分からへんの?』って言われた。

『「常識」って言われても分からない事もある。みんなが分かる事でも私には分からない事がある。みんなが普通にできる事でも出来ない事がある』って答えた。ちょっと呆れたような顔をされたけど、それ以上は何も言われなかった。

 

なにも言わず私の軽口を流してくれたんだ。

 

そう思ったら、自分のことをちょっと顧みれるようになった。

『私はどこか普通じゃないのかも』『「変わってる」って言われるのを割とポジティブに受け止めていた部分があったけど、ヤバいのかな?』『不用意な言動で嫌な思いさせたくない』

そこから自分を知る事を始めようかと思った。

 

■【発達障害】グレーというか黒寄りではなかろうか。

以前、クマさんにお説教くらったとき

『私はどこかおかしいのかも知れない。病院とか行った方がいいかな?』と聞いた時があった。

『病気に逃げるな』これが彼の答えだった。

 

私も、本当に障害で苦労されている人に対してそれを言い訳の道具にするようなマネは卑怯だと思った。

でも、発達障害の方のブログなんかをみると『割と私、ガチなん違うか…』と思えてきた。

 

ツイッターでもつぶやいたけどこれとか 

 

 

この記事もヤバいくらい分かる。思考パターンが全く持ってこれ! 

 

www.bakaaruki.xyz

 

私は診断を受けてはいないので、現時点では『発達障害疑い』若しくは『自称』に過ぎない。

でも、大事な人や周りの人をイラつかせたり傷つけたりしたくないので、自分を知って対処を考えていきたいと思ってる。

 

多分、同じようなグレーゾーンっぽい人で悩んでいる人とかいるんじゃないかな?診断結果の有無は関係なく、『発達障害の症状』で悩んでいる人達の事をもっと知りたい。

私も知ってほしいし、自分を知りたいと思ってる。

実家にいる頃の話

私もよく変わってるって言われるけど、実家も変わっていたと思う。

 

18歳で1人暮らしを始めた。

故郷は好きだけど実家は嫌い。帰りたいとは思わない。

実家や家族の話題は避けてきたから、記憶に曖昧な部分があるけど思い出していこう。

 

 ■記事リンク■

 

物心がついた頃から『皮膚むしり症』があった。

何でも病名がつく時代になったんだね。ただの癖だと思ってたけど、恥ずかしくて指を見せられなかったし、だいぶ良くなった今もネイルとか絶対無理。

私はADHDの傾向があるので自身に発達障害がある疑いを持っている。

近いうちに受診しようと思っているんだけど、『多動』の傾向は自覚していない。

 

授業中は席に座っていられる子だった。成績もよかった。

ただ、常に指の皮は剥いていた。指先を剥いてしまう癖があったんだけど、親指なんか手首の方まで剥けていた。どの指もボロボロだったな。

 

専門学校の入学式後のオリエンテーションで後日仲良くなった友達に

『ずっとキョロキョロしていたからこっちがドキドキした』と言われたことがあった。

 

『落ち着きがない』『じっとしとき』『そそっかしい』はよく言われる。

『動きがミーアキャット』とか、キョドっている様にみえるみたい。

 

自分ではパニック体質?の自覚はあるけど、このあたりは自分では分からないな。

 これらは『多動』の傾向があるのだろうか…。

 

田舎の旧家で生まれ育った。古いだけでボロいけど。

田舎の古い家にありがちな事だけど、すごく『保守的』な家だった。そして変わってた。

 

父親が絶対。男尊女卑。年長者が絶対。

 

私は女2人、男2人の4人兄弟の次女だった。長子でも男子でもない私はカースト最下層で、共働きの親に変わって育ててくれた祖母には辛く当たられる事が多かったな。

 

衛生観念がおかしな家庭だったと思う。

お風呂は毎日入るけど、散髪は週に1度(若しくはそれ以下)って決まってた。

勿論、不潔になるのでそれも原因だったのか幼稚園の頃からイジメを受けていた。

 

小学校に上がると健康・衛生チェックで『週に3日以上洗髪している』の項目があった。

聞かれる度に嘘をついた。すごく後ろめたく惨めな気分だった。

私の頭のにおいが気になった先生に『いつ洗ったん?』と聞かれる事もあった。

決まって『一昨日洗いました』と答えた。

『じゃあ、今日シャンプーの日やね。』

あぁ、明日聞かれた時の言い訳を考えなければ…。

 

小学3年生の時に『毎日、せめて2日に1度は髪を洗いたい』って言ったら『水道代が勿体ない』って祖母に叱られて、おばあちゃんっ子の姉に髪を引っ張られ殴られた。

こういった喧嘩と言うか暴力は日常茶飯事だった。やり返すと『お姉ちゃんにむかって!』って怒られ、ほうき持って追い回されたりする。

私も『生意気』で『可愛げがない』子供だったかも知れないけど。

 

1人でお風呂に入り出した頃だから、殴られても嫌味言われても無視して髪を洗った。

 

勉強は出来た。成績は良かったけど宿題は嫌いだった。

宿題をやって行った事がなくて、家に帰ったらランドセルを開けることもなく明日の言い訳を考えていた。

宿題が出来ないわけでも分からないわけでもない。やる気が出ないのだ。

やる気が出ないのでやらない。人の顔色ばかりうかがう子供だったけど、提出物の期限は守れない子だったな。

 

先生には『(宿題サボって成績良いのは)中学卒業まで』って言われた。そしてその予言は見事に当たった。

 

年の近い姉が勉強、全くダメだったんで、高校進学でも嫌味言われまくりだった。

田舎にありがちなんだけど、一部の優等生を除いて『私立』は専ら滑り止めで偏差値平均以上の子はみんな公立に行っていた。

姉は滑り止め私立の生活科を専願で受けていた。大方の予想に反して合格したけど、程なく不登校になっていた。

 

私はお金のかかる私立に行く気は全くなかったから、公立1本でいった。

何故か姉と祖母にお金の事でネチネチ言われた。次女に学はいらないから働けとか思われてたのか?今時中卒とかないし、未だによくわからない。

 

おそらく姉は少し『遅れている子』だったんだと思う。勉強もそうだけど言ってることがめちゃくちゃだったし、高校卒業後の金銭トラブルも酷かった。

 

そういや、かなり古い記憶で定かではないけど、幼稚園かその前くらいに作業療法みたいなのを姉と一緒に受けていた記憶がある。

私の方が早く終了したのは覚えてるけど、祖母に連れられ市内にある『教室』に行ってたのを覚えてる。私にも精神的な遅滞があった(ある)のかも知れない。

 

いじめは中学卒業まで続いた。

面白い事に、幼稚園〜小学3年生までは主に女の子2人に虐められてきたんだけど、その子たちとは4年生で仲良くなれた。その頃から他の女子からのいじめもなくなっていった。まぁ、仲間外れはデフォだったけど、いじめる子自体少なかったと言うのもあるのかも。

その後は男子に虐められる様になった。いじめの首謀者は何度か変わったけど中学3年まで続いた。

家族には相談できなかった。4年生だったかな?1番辛い頃は、月曜日の夜は涙が止まらなかった。

だけど不登校にはならなかった。家でもいじめの事は隠していた。

 

高校ではいじめはなかったけど、女子のグループに馴染めなかった。

『おはよう』って言って輪に入る。それが出来なかった。専ら聞き役に徹していた。

それでも『聞いているようで聞いてへんね』と言われたこともある。

クラスの女子には馴染めなかったけど、他のクラスの幼馴染や同じ部の子とは話が弾んでた。…と言うかマシンガントークが止まらなかったので『二重人格?』って影で言われてたみたい。

明日こそは!って思うけど、何を話していいのか分からなくて、どうしても馴染めなかったんだよね。

 

1人暮らしを始めてから成人式の日しか帰ってない。もちろん晴れ着なんて準備してないからスーツで行った。

幸い祖母と父は旅行中だったので、顔を合わす事はなかった。18歳で家出て、もう10年以上も会っていないんだな…。