【親不孝】母と疎遠になった話【上等】
私は所謂『機能不全家族』で育った。
田舎の保守的な古家で厳しい男尊女卑と長幼の序。次女として生まれたしろうさは、それなりに大事にはされてたのかも知れないけど扱いは酷かったと思う。
そんな私が実家と音信不通になった話。
■目次
【唯一の】母の支援【味方】
母も割と気が強い性格で変わり者だったと記憶している。
『嫁に来た』母はある意味『よそ者』で私より扱いが悪かったのかも知れない。
母は大手会社に就業していて、家に多少入れても自由になるお金はあったのだと思う。
初めての子供である姉は祖母に取り上げられたと言う。1人息子の娘(孫娘)が可愛かったのだろうか。(厳密には1人息子ではなかったようだが)
祖母の自室で寝かせ、母の元には行かせなかったそうだ。
姉はおばあちゃんっ子で母と母実家親族の悪口を一緒になって言っていた。
2番目の子供である私は祖母に見向きもされなかったので、寝室が両親と一緒だった。
未就学の頃、よく祖母が『夜中にお父ちゃんとお母ちゃんが何してるか見ておけ。教えろ』と言ってきたのを覚えている。今思い出すと、下衆でおぞましいと言う感情しか湧いてこない。
子供の頃から邪険にされる事が多かったので、はやく1人暮らしがしたかった。
母はよく言った。『お前は逃げる事が出来ても私は出来んのやで』と。
家から逃げるための支援…。専門学校進学の際、1人暮らしの賃貸契約や学費の支援をしてくれたのは母だった。
これには本当に感謝している。
【母との距離感】放任が心地いい
18で家を出てから成人式の日しか帰っていない。父とは高校の頃から口を聞いていない。家を出た日から顔も見ていない。
当初、母とは時折メールでの交流があったが『便りがないのかいい知らせ』と次第にやり取りはなくなっていた。
さみしさは全く感じなかった。部屋は片付けらなかったけど、家ではずっと好きな趣味に没頭できる。パラダイスだった。
暴力や不条理に憤る事もなかったし。
【入籍の連絡】今更依存はご勘弁
母とも何年も連絡をとっていなかった。
知らない間に、事あるごとに『出て行け』と言っていた祖母は亡くなり、弟は結婚し子供が出来ていた。
田舎とはいえ、結婚早いなぁと感心したのを覚えている。
籍を入れるだけだけど、母には連絡しておかなければ …とメールで連絡を入れた。その後の返しが私的にはすごくしんどかった。
もう、消去してしまっているので正確ではないけど、
『旦那様はどんな人?何処の出身で家族構成は?ご兄弟はいるの?何をしている方?』って感じの内容だったと思う。
心配なのは分かる。ふつうに聞く内容でもあると思うし。でも聞き方が何処か偏見じみて感じた。『旦那様』って響きにも軽く嫌悪感があった。
『新しい住所と苗字を教えなさい』
そこから怒涛のメール攻撃が始まった。しばらく放置した後『○○出身で××大学出た人。家族構成は〜。だから何?』と答えた。
最終的には『しろうさが選んだ人なら』『捨てられたら、いつでも帰っておいで』と、それで終わりになった。
これから入籍の娘に『捨てられたら』の前提で『あの家』に『帰っておいで』とよく言えるな。単純にそう思った。
私は母には会ってもらってもいいと思ってたんだけど、メールのやり取りで嫌気がさしちゃったんだよね。
一旦嫌気がさしちゃうと色々考える。
いつも服装に無頓着だった母。風呂に入っても滅多に髪を洗わず同僚ににおいを指摘されたと言う母。人の事は言えないけど空気の読めない母。デリカシーがなくガサツな母…
会わせるのが怖くて、嫌になった。
それからも何度か時事的なメールのやり取りはあったけど、双方ともに元々筆不精なので次第に数は少なくなっていた。
だえど、やたら個人情報を探るメールが多くなった。『貯金を生前贈与したいから口座を教えろ』『心配だから住所を教えろ』
以前、伯母に住所を漏らされて面倒事を押し付けられそうになった事があったので教えたくなかった。口座だって仕送り口座は変えていなわけで。何より詮索されるのが苦痛だった。
とどめは私を介護要員として考えてた風のメール。
『老後が心配。やっぱり嫁には頼めないし』
いや、長男(弟)に頼めよ!
大切に育てた『跡取り息子』じゃねーか。
しろうさは『介護は女がするもの』的考えが大嫌いです。イノセントに老後介護を理由に『女の子を産んで良かった』と言い放つ婆を見た事があるけど『介護に男も女も関係ないだろ』って思ってた。
異性に介助されるのが抵抗あるのなら父の介護は息子がするんか?違うだろ。嫁に押し付けるか『他家に嫁いだ』娘召喚するんだろ?
割と進歩的な考えだったはずの母がこんな発想するなんて…というショック。
老後はお前たちに迷惑をかけないと言っていた母なのに…。
【毒親?】言わせておけばいい【毒娘?】
アダルトチルドレンの方の体験談を読むと『私なんか全然大した事ないんじゃないか…?』と不安なる。
『甘ったれているだけ』と言う人もいるかも知れない。
発達障害にしろ機能不全家族の記憶にしろ誰かと比べてどうとかってのは違うと思う。
『あの人に比べればあなたなんて』『私よりあの人はもっと…』
同じ境遇で辛かったりしんどかったりするのを度合いを比べて追い込むのはやめよう。
私は実家暮らしの頃はつらい思い出の方が多い。
人の顔色ばかり伺う人間になってしまった。人の反応に過敏なのに無神経な一言で怒らせてしまうことがあったり、自己嫌悪の連続だ。
実家を出て10年ほど経つけど、記憶があいまいなところも多いんだよね。
人間、嫌な事って忘れる様に出来てるみたい。
だけど、不意に思い出した瞬間、頭の中ぐるぐる回って何日も引きずったりする。
私は両親や兄弟の死に目に会えなくてもいいと思ってる。
むしろ会いたくない。訃報が私に届くかも分からないけど、その時どう反応していいか分からない。田舎の親族のつながりって独特なんだよね。
私は肉親の死より、その時自分が置かれる環境の方が怖いし考えたくもない。
クマさんはなんて言うかな?やっぱり最期ぐらいはキチンとしろって言うんだろうか?考えると本当に気が重い。
家族から逃げてもいいよね?いいんだよ…。