森の迷子っこ

クマさんに懐いたうさぎさんの話。人生の迷子なり。

実家にいる頃の話

私もよく変わってるって言われるけど、実家も変わっていたと思う。

 

18歳で1人暮らしを始めた。

故郷は好きだけど実家は嫌い。帰りたいとは思わない。

実家や家族の話題は避けてきたから、記憶に曖昧な部分があるけど思い出していこう。

 

 ■記事リンク■

 

物心がついた頃から『皮膚むしり症』があった。

何でも病名がつく時代になったんだね。ただの癖だと思ってたけど、恥ずかしくて指を見せられなかったし、だいぶ良くなった今もネイルとか絶対無理。

私はADHDの傾向があるので自身に発達障害がある疑いを持っている。

近いうちに受診しようと思っているんだけど、『多動』の傾向は自覚していない。

 

授業中は席に座っていられる子だった。成績もよかった。

ただ、常に指の皮は剥いていた。指先を剥いてしまう癖があったんだけど、親指なんか手首の方まで剥けていた。どの指もボロボロだったな。

 

専門学校の入学式後のオリエンテーションで後日仲良くなった友達に

『ずっとキョロキョロしていたからこっちがドキドキした』と言われたことがあった。

 

『落ち着きがない』『じっとしとき』『そそっかしい』はよく言われる。

『動きがミーアキャット』とか、キョドっている様にみえるみたい。

 

自分ではパニック体質?の自覚はあるけど、このあたりは自分では分からないな。

 これらは『多動』の傾向があるのだろうか…。

 

田舎の旧家で生まれ育った。古いだけでボロいけど。

田舎の古い家にありがちな事だけど、すごく『保守的』な家だった。そして変わってた。

 

父親が絶対。男尊女卑。年長者が絶対。

 

私は女2人、男2人の4人兄弟の次女だった。長子でも男子でもない私はカースト最下層で、共働きの親に変わって育ててくれた祖母には辛く当たられる事が多かったな。

 

衛生観念がおかしな家庭だったと思う。

お風呂は毎日入るけど、散髪は週に1度(若しくはそれ以下)って決まってた。

勿論、不潔になるのでそれも原因だったのか幼稚園の頃からイジメを受けていた。

 

小学校に上がると健康・衛生チェックで『週に3日以上洗髪している』の項目があった。

聞かれる度に嘘をついた。すごく後ろめたく惨めな気分だった。

私の頭のにおいが気になった先生に『いつ洗ったん?』と聞かれる事もあった。

決まって『一昨日洗いました』と答えた。

『じゃあ、今日シャンプーの日やね。』

あぁ、明日聞かれた時の言い訳を考えなければ…。

 

小学3年生の時に『毎日、せめて2日に1度は髪を洗いたい』って言ったら『水道代が勿体ない』って祖母に叱られて、おばあちゃんっ子の姉に髪を引っ張られ殴られた。

こういった喧嘩と言うか暴力は日常茶飯事だった。やり返すと『お姉ちゃんにむかって!』って怒られ、ほうき持って追い回されたりする。

私も『生意気』で『可愛げがない』子供だったかも知れないけど。

 

1人でお風呂に入り出した頃だから、殴られても嫌味言われても無視して髪を洗った。

 

勉強は出来た。成績は良かったけど宿題は嫌いだった。

宿題をやって行った事がなくて、家に帰ったらランドセルを開けることもなく明日の言い訳を考えていた。

宿題が出来ないわけでも分からないわけでもない。やる気が出ないのだ。

やる気が出ないのでやらない。人の顔色ばかりうかがう子供だったけど、提出物の期限は守れない子だったな。

 

先生には『(宿題サボって成績良いのは)中学卒業まで』って言われた。そしてその予言は見事に当たった。

 

年の近い姉が勉強、全くダメだったんで、高校進学でも嫌味言われまくりだった。

田舎にありがちなんだけど、一部の優等生を除いて『私立』は専ら滑り止めで偏差値平均以上の子はみんな公立に行っていた。

姉は滑り止め私立の生活科を専願で受けていた。大方の予想に反して合格したけど、程なく不登校になっていた。

 

私はお金のかかる私立に行く気は全くなかったから、公立1本でいった。

何故か姉と祖母にお金の事でネチネチ言われた。次女に学はいらないから働けとか思われてたのか?今時中卒とかないし、未だによくわからない。

 

おそらく姉は少し『遅れている子』だったんだと思う。勉強もそうだけど言ってることがめちゃくちゃだったし、高校卒業後の金銭トラブルも酷かった。

 

そういや、かなり古い記憶で定かではないけど、幼稚園かその前くらいに作業療法みたいなのを姉と一緒に受けていた記憶がある。

私の方が早く終了したのは覚えてるけど、祖母に連れられ市内にある『教室』に行ってたのを覚えてる。私にも精神的な遅滞があった(ある)のかも知れない。

 

いじめは中学卒業まで続いた。

面白い事に、幼稚園〜小学3年生までは主に女の子2人に虐められてきたんだけど、その子たちとは4年生で仲良くなれた。その頃から他の女子からのいじめもなくなっていった。まぁ、仲間外れはデフォだったけど、いじめる子自体少なかったと言うのもあるのかも。

その後は男子に虐められる様になった。いじめの首謀者は何度か変わったけど中学3年まで続いた。

家族には相談できなかった。4年生だったかな?1番辛い頃は、月曜日の夜は涙が止まらなかった。

だけど不登校にはならなかった。家でもいじめの事は隠していた。

 

高校ではいじめはなかったけど、女子のグループに馴染めなかった。

『おはよう』って言って輪に入る。それが出来なかった。専ら聞き役に徹していた。

それでも『聞いているようで聞いてへんね』と言われたこともある。

クラスの女子には馴染めなかったけど、他のクラスの幼馴染や同じ部の子とは話が弾んでた。…と言うかマシンガントークが止まらなかったので『二重人格?』って影で言われてたみたい。

明日こそは!って思うけど、何を話していいのか分からなくて、どうしても馴染めなかったんだよね。

 

1人暮らしを始めてから成人式の日しか帰ってない。もちろん晴れ着なんて準備してないからスーツで行った。

幸い祖母と父は旅行中だったので、顔を合わす事はなかった。18歳で家出て、もう10年以上も会っていないんだな…。